2013年4月29日月曜日

母が退院しました

4月10日に母が退院しました。
およそ3ヶ月半。
長かったような、
あっと言う間だったような。

退院してすぐに、ケアマネを決めたり、
近所のクリニックの医師や理学療法士に話を聞いたり、
福祉用具のお店に住宅改修の話を聞いたりしました。

当初は、ベッドをレンタルしようかと考えていましたが、
床置き型の手すりを置けば布団でも全く問題ないので、
手すりをレンタル。
こんなかんじのです↓

あとは、お風呂で身体洗う用のしっかりしたイスと、
浴槽に入る時に中に入れておく台を購入。
こんなかんじのです↓

翌週から、週2回の訪問リハビリと、
週1回の訪問介護(デイサービス)が始まりました。

デイサービスと言っても、
半日でリハビリをメインに行うところです。
最近そういうデイサービスが増えてるみたいです。
母みたいに、後遺症が軽くてある程度のことは自分でできるけど
リハビリをしたい(続けたい)人にぴったりなところだと思います。

お風呂は一人で入るのが心配みたいで、父と入ってますが、
それ以外の身の回りのことは、だいたい自分でできているみたいです。
先週くらいから、食事の支度もしています。
ちょっと見ただけだと、脳梗塞の後遺症があるなんてわからないくらい、
普通に生活しています。

左半身はよく動かせているように見えるのですが、
「感覚」が鈍くなっているみたいで、
例えば、手に関して、
握った、と思ったら握ってなかったり、
放した、と思ったら放してなかったり、
みたいなことがあります。
あとは、重いものを持つのがたいへん。

階段の上り下りは、病院ではできていたのですが、
家の階段は、一段が高くて尚かつ段の幅が狭いので、
うまく上れないみたいです。
ここだけそのうち手すりをつけようかと、
話し合っています。

退院前は、みんなでいろいろ心配してましたが、
けっこうどうにかなっているので、
新発田病院でリハビリを始める前に決めた目標、
「パリのカフェでお茶をする」は、
そう遠くない将来実現できそうなかんじです。

2013年4月6日土曜日

母が退院します

4/7に母が家に帰ってきます。
家で1泊してみて、何がどこまでできるかを考えて、必要なものがあれば用意して、
4/10に退院します。

退院後は、
リハビリを集中的に行なってくれるデイサービスに通う予定です。

母本人は、まだ折り紙で鶴がうまく折れないと言っていますが、
びっくりするほど、良くなりました。

お正月に会ったときは、左足は全く動かないし、全く感覚がない状態でしたが、
今はかなり歩けるようになりました。
母の家のお墓があるお寺が、ちょうど病院の近くだったので、
お彼岸には弟とお墓参りに行き、
帰りは20分くらい歩いて、病院まで戻って来ました。

よく、脳梗塞の治療はスピードが大事と言いますが、
母の場合、本当に、その通り、ぴったり、うまくいったのだと思います。
突然倒れて、ほとんど意識がない状態だったそうですが、
すぐに病院へ搬送され、
すぐに検査が行われ、
すぐにt-PA治療が行われ、
容態が落ち着くと、すぐに(少しずつ)リハビリが始まり、
2週間程度で集中的にリハビリを行う病棟へ移り、
麻痺はどんどん回復し、
およそ3ヶ月半で退院。
脳梗塞治療の教科書があったら、それに載りそうなくらい、
うまくいったのではないかと思います。

本当にありがたいことです。
本当によかった。



この3ヶ月半で、
今まで自分の頭の中になんとなく点在していた知識や経験が、
少しずつ集まって、1本の線になって行ったような、
そんなふうに感じます。

今までの仕事で、脳梗塞に罹った人とたくさん出会い、
その人たちのために頑張ってきたつもりでしたけど、
やはりどこかで、他人事として考えていたんだと思います。

自分の家族だって、
いつ何が起こるかわからないと、覚悟していたつもりでした。
でもどこかで、それは「今」じゃないと考えていたんだと思います。

母が倒れて、
わけがわからなくなって、
必死になって、
頭の中がどんどん再構築されて行って、
点が線になって行ったような、
そんなふうに感じます。



自分が知っていることを、
どういうふうに説明したら、
母や家族や親戚がよく理解できるか、
仕事のとき以上に、よく考えて、
話をしてきました。

不思議なもので、
仕事だと、利用者さんや患者さんに同じ事を何度聞かれても、
そんなにイライラしないで、何度でも説明できるのですが、
家族や親戚相手となると、同じ事を何度か聞かれると、
だんだんイライラして来てしまう。

でも、イライラするということは、
それだけ、相手と自分の距離が近い証なのかな。
他人にイライラしないということは、
どこかで、まあどうせ他人事だし、みたいな壁を、
張ってしまっているからなのかな。
イライラ自体が発生しないようにするよりも、
イライラしてもそれをうまく制御できるようにする方が、
介護や福祉を生業とする者にとっては大事なんじゃないかな。
そんなことを考えながらの3ヶ月半でした。

いや、今もまだ続いてますけど。
これからも続いて行きますけど。



去年の暮れから、
なんだか、何をやっても現実感がなくて、
でも、やらなきゃならないことがたくさんあって、
やりたいことがたくさんあって、
しっかりしなきゃなあと思いつつも、
時間はどんどん過ぎて行って。

一昨年、転職したときに、
思い切って、いろんなものを捨てたり、
いろんなことを辞めたりしたんですけど、
いつの間にかまた、余計なものや、余計なことが増えていて、
ここらへんでもう一度、余計なものを削ぎ落して、
スッキリしたいなあと思う、今日この頃です。

2013年3月27日水曜日

イベント参加告知、COMITIA104


5月5日(日) に東京ビッグサイトで開催される
COMITIA104に参加します。
スペースは「て34b:krumbol」です。

前回参加(102)では新刊なしだったので、
今回は新しい本を作ります。

既刊(100のときの本)がまだ残っているのでそれも持って行きます。
既刊サンプルはこちら→ krumbol.tumblr.com

よろしくお願いします。


2013年3月23日土曜日

母が脳梗塞になりました。新潟から東京へ転院


これまでの日記。

年末年始のこと、母が脳梗塞になりました。 1
http://debristower.blogspot.jp/2013/01/1.html
年末年始のこと、母が脳梗塞になりました。 2
http://debristower.blogspot.jp/2013/01/2.html
回復期リハビリテーション
http://debristower.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html
母が脳梗塞になりました。回復期リハビリ病棟へ転院
http://debristower.blogspot.jp/2013/01/blog-post_16.html


2/27
学校の用事を済ませて
夕方の新幹線で田舎(新潟)へ帰る。

2/28
父と弟で病院へ。
弟と荷物をまとめる。
父は受付で支払。

母はまだ少し左半身に麻痺が残っているけど、
T字杖で歩けるところまで回復していました。

先日要介護3の認定が出ましたが、
来年更新したら、要介護1くらいの認定になりそうな、
それくらいのところまで回復していました。

座って話していると、
脳梗塞に罹った人には見えません。

本当によかった。

手も足もかなり動くけど、
「感覚」が鈍いみたいで、
油断すると転びそう。
そこは気をつけなければならないところ。

動くけど、しっかり意識しなければならない。
普通に動かせる人は、
なんでもない動作をするときに、
いちいち自分の手や足を意識しない。
その、なんでもない動作をするときに、
いちいちしっかり意識しなければならない。
これってけっこうたいへんなこと。
本人は精神的にけっこう疲れる。
母は弱音は言わない人だけど、
たいへんだと感じていると思う。

母に限らず、
大きな病気に罹ったり、事故に遭ったりして、
何かしらの障害が残った人の気持っていうのは、
本当にたいへんなものだと思う。

今まで普通に暮らしていて、
ある日突然、身体の一部、あるいは全体が、
思うように動かなくなったときの気持ちっていうのは、
障害の軽重に関わらず、たいへんなものだと思う。

もちろん、生まれつき障害があるのもたいへんだけど。

支払いが終わって、
看護師さんから転院のための書類をもらい、
県立リウマチセンターを退院しました。

大勢のスタッフがエレベーターまで送ってくれました。
本当にありがとうございました。

1階のリハビリ室で、
リハビリのスタッフに挨拶。
母の担当だった方が受付ロビーまで送ってくれました。
本当にありがとうございました。

外の移動はさすがに車イス。

叔母(父の妹)が見送りに来てくれました。

弟と別れて、
タクシーで新潟駅へ。

上下の移動はエレベーター。
新潟駅には何度も来ているけど、
エレベーターがどこにあるかなんて、
全然意識してなかった。

新幹線は車いす用の席。
ちょっとの移動なら問題なくできるので、
車いすはたたんで、普通の座席へ移る。
お弁当を食べる。

上野到着。
叔母(母の妹)が迎えに来てくれました。

タクシーで浅草へ。
ホテルにチェックイン。
母と父でホテルに泊まって、
翌日転院先の同善病院へ行く予定。
(最初は北柏リハビリ総合病院の予定でしたが、)
(いろいろ検討した結果同善病院になりました。)

母と父と叔母と僕で夕方まで浅草をぶらぶらする。
浅草寺って本堂上がるためのエレベーターあるんですね。
知らなかった。

階段はまだ無理そうなので、
エレベーターで本堂へ上がりました。

夕方解散。
帰宅。

3/1
僕は仕事。
母は父が付き添って同善病院へ入院。

3/1~
新発田病院・県立リウマチセンターに比べると、
建物は古いし、病室も狭い。
ほんと、下町の小さな古い病院。
(最寄り駅は東京メトロの三ノ輪、JRなら南千住)

でも、小さい病院なりのメリットもあるみたいです。
リウマチセンターは、転ぶと危ないからということで、
あまり院内を好き勝手には歩けなかったみたいですが、
同善病院ではかなり自由になったようです。
食事は、新発田病院・リウマチセンターよりもおいしいようです。

転院してからしばらくして、
階段の上り下りのリハビリが始まりました。

3/15
4月上旬には退院できるかもと、
医師から父へ話があったそうです。

2013年1月31日木曜日

医療費の話


大きな病気に罹ったとき、
どれくらいお金がかかるのかということは、
みなさん気になることだと思うので、
現時点での母の医療費の話。



12月分の医療費
自己負担額合計 133,430円

内訳

保険適用金額
初診料 5,200円
画像診断 1,400円
入院料等 216,600円
包括評価算定 213,940円
小計 437,140円 …(A)

保険適用外金額
食費 1,820円
小計 1,820円 …(B)

母の場合保険適用分は3割負担になるので、
「自己負担合計」は、(A)の3割と(B)を合わせた金額になります。

最初は救急救命センターに搬送されたのですが、
救急救命センターは外来受診扱いになるので、
初診料・再診料5200円がかかります。

脳梗塞の場合、包括評価算定が適用されるので、
医療費のうちほとんどは、包括評価算定になります。

包括評価算定について | 九州大学病院
http://goo.gl/ALbuP
診断群分類包括評価 - Wikipedia
http://goo.gl/DXBZu

「入院料等」が恐ろしい金額になっているのは、
12月は集中治療室にいたからだと思われます。
元日から一般病棟に移るのですが、
そこから「入院料等」はぐっと下がります。

倒れたのが12/29なので、
3日で13万です。
まあ、命が救われたのですから、安いもんです。

でも、
できることなら、
自己負担はなるべく減らしたい。
そこで、「高額療養費制度」です。

高額療養費パーフェクトマスター
http://goo.gl/njOpH

高額療養費制度を利用される皆さまへ|厚生労働省
http://goo.gl/bLjTS


医療保険の種類によって名称が違ったりしますが、
大雑把に言うと、「保険適用金額」の部分には上限が設定されていて、
それを超えた分のお金が返ってくる、という仕組みです。
この制度を利用すると、例えば母の場合、
自己負担額の合計は、83,621円まで下がります。

「保険適用外金額」(例えば食費や個室料)には適用されません。
これらは確定申告や年末調整の際に医療費控除分として申請しましょう。



1月分の医療費(1/1から1/15まで)
自己負担額合計 264,590円

内訳

保険適用金額
医学管理等 9,000円
投薬 210円
リハビリテーション 63,800円
入院料等 17,250円
包括評価算定 213,940円
小計 437,140円 …(A)

保険適用外金額
食費 9,030円
小計 9,030円 …(B)

12月分と同じように、
「自己負担合計」は、(A)の3割と(B)を合わせた金額になります。
16日からの医療費がどれくらいなのかわかりませんが、
たぶん、実際に支払う金額は9万円前後?



高額医療費制度様様ですね。
今自分が・家族が元気な人も、
頭の片隅に入れておきましょう。

高額療養費パーフェクトマスター
http://goo.gl/njOpH
高額療養費制度を利用される皆さまへ|厚生労働省
http://goo.gl/bLjTS



民間の医療保険から保険金もらいますし、
支払った医療費は確定申告で医療費控除分として申請できますし、
そこらへんまで考えると、実際に出て行くお金は、
べらぼうに高いというわけではないのかもしれません。



日本の医療保険はすごいんですよ。
我が日本の医療保険制度は世界一ィィィィーーーーッ!!!!!
と言っても過言ではないんですよ。

2013年1月27日日曜日

ケアプラン


介護保険サービスを利用する際のケアプラン(介護サービス計画)は、
ケアマネに依頼しないで、サービス利用者本人やその家族が計画を立てることもできます。

しかし、自分で・自分たちでケアマネジメントをやるということは
計画書をはじめとした様々な書類の作成や、サービス事業所とのやりとりを、
自分で・自分たちでやることになるので、たいへんです。

なので、ほとんどの人は、ケアマネと契約して、
そこらへんのことを全てケアマネに依頼しています。

でも、自分でやるのはたいへんだからケアマネに依頼している、と言うよりも、
そもそも、自分でやってもいいということを知らずに、
そういうことはケアマネがやるのだと思い込んで、
ケアマネに依頼しているケースがほとんどのように感じます。

先日役所に行ったら、ケアプランに関しては、
自分で計画書を作れるということは一言も説明されずに、
ケアマネと契約してケアプランの作成を依頼してくださいと言われましたし。

まあ、実際自分で・自分たちでやるとなったらめんどくさいです。
こういう説明の仕方にまってしまうのも仕方ない。

でも、自分で・自分たちでケアプランを作るケースが少ない要因は、
みんながそれがたいへんだから、ということを知っているからではなく、
そもそも自分で・自分たちでできるということを知らないから、
だと思うんですよね。

家族が介護を要する状態になったとき、
あるいは自分自身がそうなったとき、
もちろん、計画書等の作成をケアマネに依頼するのは、いいと思います。
なにしろ、専門家ですから。
でも、選択肢はそれだけじゃないと。
自分のこと・家族のことは、他人に丸投げしたくない。
自分たちの生き方は、自分たちで決めたい。
そう言う場合は、自分たちで計画を立てて、
介護保険サービスを利用することもできます。

こちらでケアプランの自己作成について丁寧に解説されています。
興味のある方はどうぞ。
HOME of 全国マイケアプラン・ネットワーク
http://www.mycareplan-net.com/





ケアマネの資格を持ってるし、
自分で母のケアプランを作ってみようかと考えています。
父はそうしてくれるとありがたいと言っています。
母本人にはまだ話をしていないので、
こちらに転院してきたら、話し合ってみようかなと。

自分で計画を立てる・家族がケアプランを立てることは、当然、
メリットもあれば、デメリットもありますし。

そういう選択肢もあるよってことだけでも伝えておきたい。

2013年1月16日水曜日

母が脳梗塞になりました。回復期リハビリ病棟へ転院


1月15日(火)
母が新発田病院から回復期リハビリ病棟のあるリウマチセンターへ転院しました。
http://goo.gl/dIuHY

転院と言っても、途中の階が渡り廊下で繋がっているので、
それほど大仰なことではないのですが。

母はものすごい勢いで良くなっているみたいで、
弟に電話で、次会ったらびっくりするよ、みたいなことを言われました。
左手はかなり動くようになってきたみたいです。
左足は、本当に、全く、動かない状態だったのですが、
少し動かせるようになったみたいです。

リハビリってすごいなぁ。
新発田病院にいたときは、
リハビリの時間は午前1時間、午後1時間くらいだったそうですが、
これからはもっと長い時間リハビリをするので、
これはもしかして、かなり良くなるんじゃないかな。

医療ってすごいですわ。
介護の仕事してたとき、
病院絡みでたくさん嫌な思いをしてきたから、
正直、病院や医者に対する不信感すごかったんですけど、
病院も、お医者さんも、看護師さんも、リハビリの先生も、みんな、すごいですわ。
思い込みは良くないですね。
あと、母の根性もすごいですね。



市役所で健康保険限度額適用認定証をもらいました。
これで医療費も恐くない!
帰るとちょうど12月分の請求書が届いてました。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
やっぱり医療費は恐い!



松戸市周辺での転院先を探すのに、
いくつかの病院に電話で相談してみたのですが、
丁寧に対応してくれるところもあれば、いまいちなところもあって、いろいろですね…
まあ、丁寧に対応してくれるところを、選びますよね。



なんと言いますか
介護の仕事をしていてよかったと、
福祉の勉強をしていてよかったと、
ひしひしと感じますね…
もっと勉強頑張ろうと
思いました。

2013年1月9日水曜日

回復期リハビリテーション

回復期リハビリテーション

回復期リハビリテーション病棟は、いわゆる急性期を脱し在宅復帰を目指す病棟のこと。

意義
在宅復帰を目指すため2000年に新設された病棟。
脳卒中や大腿部骨折、廃用症候群などある程度限定された患者が入院する。
リハビリ医や理学療法士らの支援で集中的な訓練に取り組む病床。

入院できる疾患
1.脳血管疾患、脊髄損傷、頭部外傷、くも膜下出血のシャント手術後、脳腫瘍、脳炎、急性脳症、脊髄炎、多発性神経炎、多発性硬化症、腕神経叢損傷等の発症又は手術後、義肢装着訓練を要する状態。
2.高次脳機能障害を伴った重症脳血管障害、重度の頸髄損傷、頭部外傷を含む多部位外傷の発症又は手術後。
3.大腿骨、骨盤、脊髄、股関節又は膝関節、2肢以上の多発骨折の発症又は手術後。
4.外科手術又は肺炎等の治療時の安静により廃用症候群を有しており、手術後又は発症後。
5.大腿骨、骨盤、脊髄、股関節又は膝関節の神経、筋又は靭帯損傷後。

回復期リハビリテーション - Wikipedia http://goo.gl/Kfh0s
より抜粋。



母は、山は越えて、現在は一般病床にいるのですが、
まだ諸々検査が残っていたり、
ワーファリンの適量が決まっていないという状況であるため、
扱いとしてはまだ「急性期」です。

ワーファリンは、脳梗塞や心筋梗塞が発症した際、
再び体内で血液凝固塊(血栓)が生じないようにする薬です。
要は、血液を固まりにくくする薬なのですが、
人によって効果が出る量が異なるため、
少しずつ量を増やしては検査をする必要があり、
適量を決めるのに時間がかかるとかなんとか。

そのへんが片付いたら、
新発田病院は退院し、
同じ敷地内の県立リウマチセンターへ転院します。
病院の名前に「リウマチ」と付いているので、
主にリウマチを扱う病院ですが、
リウマチ病棟と回復期リハビリテーション病棟があるため、
上記の「入院できる疾患」に該当する患者も受け入れているようです。

回復期リハビリテーション病棟に入院できる期間は、
だいたいどこの病院でも2ヶ月と決まっているようで、(厳密には違うのですが)
県立リウマチセンターに1ヶ月入院して、
その後は松戸市周辺の回復期リハビリテーション病棟がある病院に転院。
松戸市周辺に転院できたら、
要介護認定の申請、障害者手帳の申請等々を行う。
そんな予定。

1/4から新発田病院でリハビリを行っているので、
それで良くなれば、そのまま帰ってきちゃってもいいと思うのですが。
あんまり長く入院するのも、本人いやだろうし。

それはそれとして、当面自分がすることは、
松戸市内or周辺で回復期リハビリ病棟がある病院を探し、
可能なら見学に行って、
転院先を絞り込んでおくこと。

いい機会だから、
いや、良くはないんだけど、
いろんなとこ行って話を聞こう。

2013年1月3日木曜日

年末年始のこと、母が脳梗塞になりました。 2


つづき
http://goo.gl/rW3BU



元日
初詣で母に渡すお守りを買う。

父から連絡があり、
母は午後から一般病床に移れるということで、再び新潟へ。
この日の新潟はものすごい雪でした。

病室へ入ると、
母がベッドに横になっていました。
ベッドのそばに父が座っていました。
病院ではよくある光景なんでしょうけど、
それが自分の家族であるということが、
不思議で不思議で、仕方がありませんでした。

母は、意識ははっきりしていました。
かなり眠そうな様子ではありましたが。
薬の影響なのか。
この日は頭痛と微熱があったみたいで、
そのへんも影響していたのか。
普通に話はできる状態でした。

左半身に麻痺がありました。
左上肢は、腕は動くけど、掌や指を動かすのは難しそうでした。
左下肢は、全く感覚がなく、全く動かすことができないという状態でした。

これからリハビリが始まるので、
今後左半身がずっとこのままということはないと思いますが、
リハビリである程度左半身の機能が回復しても、
今まで通りに普通に歩くことは難しいのではないかと感じました。

右半身はほとんど問題なさそうな様子でした。
首から上にも後遺症はなさそうでした。
(話すこと、食べること、飲むことはできていました)

しばらくして、弟が来ました。
(弟は新潟に住んでいます)
久しぶりに、家族4人がそろいました。

こういう形で久しぶりに家族がそろったということを、
みんなが変に意識していたようで、
最初は、何とも言えない、気まずい、ぎくしゃくした空気になりました。

しばらくして、叔母(母の妹)が来ました。
叔母が気まずい空気をうまく解きほぐしてくれたような気がしました。

夕方まで、何でもないことを話して、
時々、今後どうして行くかを話して、
最後に父から、医師より説明されたことを聞いて、
新潟の家に帰りました。



母の脳梗塞は
脳血栓と脳塞栓では、
脳塞栓の方でした。

<脳血栓と脳塞栓について>
脳梗塞(脳血栓と脳塞栓) 医学・健康情報サイト J-Medical
http://www.j-medical.net/bra001.html
脳血栓と脳塞栓 | 脳梗塞データベース | 脳梗塞の前兆・後遺症・原因・予防
http://kenkoseikatsu.com/archives/68

脳塞栓は、心臓疾患から生じることが多いそうです。
心臓疾患があると、心臓で血液凝固塊(血栓)等が生じやすく、
それが脳血管を塞ぎ、脳梗塞を発症させます。

そのため、母は心臓の検査も受けたのですが、
心臓に異常はなし。
他にも検査を受けたそうですが、
異常なし。
脳塞栓である可能性は高いけど、
どこで血液凝固塊が生じたのかがわからないという状態。
もうしばらく検査は続くようです。

根本的な原因がわからないというのはとても不安ですが、
脳梗塞で脳血栓によるものか脳塞栓によるものかを判断できて、
根本的な原因まで突き止められるケースは、
あまり多くないみたいです。



1/2
弟と病院へ行きました。
(父は病院に泊まりました)
この日は熱も下がり、頭痛も治まったみたいで、
母は昨日よりも穏やかな表情でした。

何でもないことを話して、
千葉に戻りました。

帰りの電車で、
何だかよくわからないけど、
泣いてしまいました。
新発田から新潟まで、ずっと。

何ですかね。
実際母に会って安心したこと、
生きるか死ぬかの状況で、死なないで生きていてくれたこと、
これから先の不安、
何故母がこんな目に遭わなければならなかったのか、
なってしまったものは仕方がない、
父の献身、
自分の無力、
いろんなことがぐちゃぐちゃに混ざって、出てきたような。

ど田舎の電車だから、
他に乗ってる人ほとんどいなくて、よかったです。

不安もありますけど、
会って、話して、泣いたら、
だいぶ気持ちが楽になったように感じます。



家に戻ると、
隣の家のおばさんに呼び止められました。
2件となりの家の旦那さんが、大晦日に亡くなったと。
確かに、大晦日、あの家の前に救急車が来ていたけど、
まさか亡くなってしまうなんて。
つい最近、近所に買い物へ行くときにすれ違った。
町内会のことでいろいろお世話になった人でした。



何が起こるかわからない。
何が起こるかわからないけど、
常に何が起こるかわからないと憂えていたら、
何にもできなくなってしまう。
やるべきことをやろう。
やりたいことをやろう。
どうしようもないことが起きたら、
そのときに考えればいいと思う。

頑張るしかない。
それは、諦めるとか開き直るとか、
そういうことじゃなくて。
むしろ、諦めたくないから。
開き直りたくないから。

年末年始のこと、母が脳梗塞になりました。 1


年末年始向きの内容じゃないんですけど、
書かないではいられないので。



12/29の午後から12/31朝までの話です。



母が脳梗塞になりました。
結果的には無事でした。

新潟に帰省中でした。

僕は千葉にいました。
年明け提出のレポートを書いたり、
アイドルのプロデュースをしたりしていました。
明日のカタログチェック全然やってない。やばい。
そんな調子でした。

母は、突然呂律がまわらなくなって、倒れたそうです。
父がすぐに救急車を呼びました。

新発田病院へ搬送されました。
右脳梗塞。
2カ所。
発症してから3時間以内だったため、
父は、すぐにtPA療法を行った方がいいという説明を、医師から受けたそうです。

tPA療法は、血栓溶解療法とも言います。
tPAは、アルテプラーゼとか、アクチバシンとか、グルトパとも呼ばれる薬です。
ものすごく大雑把に言うと、脳梗塞や心筋梗塞の血栓を溶かす薬です。
発症から3時間以内であれば効果を発揮します。
リスクとしては、血管が破れて出血することがあります。

父はtPA療法を行うことに同意し、
母にtPAが投与されました。

この段階で、父から僕へ電話がかかってきました。
父はものすごく取り乱していたように感じました。
泣きそうな声でした。

僕はと言うと、
驚いたのと、
信じられない、という思い。
驚きはしたものの、
なかなか現実のこととして認識できない。

いろいろな考えが、
頭の中をぐちゃぐちゃに駆け巡りました。

このまま死んでしまうのか。
いや、それは考えすぎだ。
倒れてすぐに病院へ搬送された。
脳神経外科のある県立の大きな病院だ。
tPAは画期的な薬だって、テレビで言ってた。
大丈夫。
大丈夫。

他にも、仕事のこととか、学校のこととか、
いろいろ考えて、焦る。
でも、どこか現実感がない。

新潟へ向かう。
途中父から電話がありました。
母は、意識がはっきりしてきて、話せるようにもなってきたと。
一命は取り留めたと。
しばらく集中治療室で安静にすると。

まだ出血する可能性もあり、安心はできないのですが、
父の声はさっきよりも落ち着いていました。
僕も少し落ち着きました。

病院へ行きましたが、
しばらく安静にしなければならないとのことで、
面会はできませんでした。

父が医師から話を聞きました。
快方に向かっている。
梗塞部位に再び血液が流れている。
薬が期待通りの効果を発揮した。
tPAによる出血も見られない。
山は越えた。
梗塞部位に血は流れているが、
2カ所、広範囲に梗塞が起こったため、
麻痺は残るかもしれない。
状態が落ち着いたら一般病棟に移り、リハビリを行う。

とにかく、生きている。
よかった。
でも、まだ変な夢を見ているような感覚がある。
母本人に会っていないからなのか。

千葉へ戻る。
親戚へ連絡。
年明けにもう一度、親戚の人たちと一緒に病院へ行く予定。

母は、病院がきらいで、
体調が悪くても、そう簡単には病院へ行かない人。
何かあっても一切延命はしなくていいと、いつも言っていました。
一見、強い人のように思えるけど、
僕には、強がっているだけのように感じられました。
今、こうゆう状況になって、母は何を思っているだろう。
そんなこと自分が考えてもしょうがないか。
たぶん、次会ったら、宝くじでも買っておけばよかった、
みたいなこと、言うのかな。

次会ったときは、
生きててよかった。
死ななくてよかった。
って言おう。